問題山積 さらにどん!

観劇とか、自分のすきな役者とか、すきな舞台とか

2.5舞台とはかくあるべき、とは

2.5舞台とはかくあるべき、とはいわないけれど

 

この春、私は二つの対照的な舞台をみた、と思う。
それは「ミュージカル『スタミュ』」と「舞台『ジョーカーゲーム』」である。

この二つは、つまるところ自分が推し俳優のためにかなりの回数通ったのだけれど、いろんな意味で対照的だなと思っている。

変なたとえなんだけれど、関数のイメージ。

原作×[演劇手法]=評判のよい2.5舞台

あくまで舞台に通う中で感じた体感にすぎないのだけれど、「スタミュミュ」も「ジョーカーゲーム」も、原作に根強い人気(ぶっちゃけでいうと、濃いファン)がある。そのうえで、その原作ファンの、舞台化の評判はとてもよかったと思っている。

上の関数(この場合は本来の「函数」のイメージなのだけれど)では[演劇手法]の部分が、スタミュミュとジョカゲでまったくといっていいほど違う。
それなのに、評判がいい。
それはつまり、「評判がいい」という手法はなにも一つではなくて、正解があるわけではない、ということだ。

あたりまえのことなのだけれど、作品によって演出のあうあわない、は明らかに存在する。

またもおかしなたとえになるけれど、ふわっふわの少女漫画(自分年寄りだからネタが古いけど、たとえばときめきトゥナイトとか)を、さいとう・たかを(ゴルゴ13ね)の絵柄で描かれても、まったく萌えない。
反対に、ゴルゴ13のストーリーを、池野恋の絵柄でやられても困る。
少女漫画のきらきらした絵には、たとえば「エロイカより愛をこめて」とか「ツーリング・エクスプレス」みたいに、同じスパイものでも華やかな部分を前面にだしたストーリーがあってくる。
エロイカに関しては、少女漫画とはいいながら、人物造形はおっさんのかき分け含め、少女まんがらしからぬ絵柄であることはこの際おいておく。華やかなキャラクターがいて、華やかな部分があるのは事実だからだ)

ものすごく余談だけれど、あわない作風なのに、力業でなっとくさせてしまったのが、立原あゆみだとおもう。あのシュガーテイストでかわいらしい絵柄で、一貫してヤクザモノを書き続け、結果それで納得させている。すごい。(大昔は、彼は少女漫画誌で書いていた。当時の漫画は結構好きだった)


まあ、ちょっと話がずれたけど、作品にあった作風、演出技法というのがそれぞれ異なっている、というのは考えてみれば当たり前の話だ。

だから結果的に「アニメファンがすごく楽しんでくれた舞台」と一口にいっても、その表現方法は全然違っても当然なのである。

だから、2.5はこうやればいい、っていう正解は正直ない。

 

スタミュとジョカゲで、原作ファンの満足する部分は明らかに違う。

基本的には、「キャラクターがそのまま舞台にいる」という感動は必須だと思うのだけれど、(そこには、トータルで「らしさ」が表現されていることが必須)
その上で、「スタミュミュ」は「アニメがそのまま舞台になった」という感動があった。
対してジョカゲの場合は「みたかったD機関員」という部分が大きいような気がする。
スタミュミュでも、「ここのダンスの振り付け見たかった」っていう部分はあったろうし、ジョカゲでも「このシーンがまんま再現されている! 仕草がまんま○○! ○○が生きてる!!」という感動はたしかにあったと思う。でも大きな感動ポイントはそんなふうに対照的だった。

 感動ポイントがちがうなら、当然、そこを演出するアプローチだって違う。だから、それぞれが全然ちがった舞台だったけど、2.5舞台として成功した、といっしょくたにしていいんだと思う。

 

そのうえで、この2作品に共通する部分はたしかにあった。

一番大きいのは、「原作(アニメ)へのリスペクト」だと思う。

そして、原作スタッフの全面的協力。実際どのぐらい協力しているかはわからないけれど、スタミュもジョカゲも、公式や関係者が舞台についてずっとつぶやいてくれているのはそれだけ注視しているからだろうし、それが原作のイメージをそこなうものであったら、そこまでつぶやかないと思う。とくに終わった後に。

(始まるまえは宣伝の問題もあるから、つぶやくのはまあ…ビジネスとしても大事なことですよねうん…)

2.5でも、原作陣ノータッチってけっこうあるけれど、この2作は、たとえばスタミュは原作のスタッフがかなり名前を連ねているし、ジョカゲもどうやらかなり原作側と協議した形跡がみられる。

 

変ないいかたになるけど、原作を尊重し、原作スタッフと交流があるというのはものすごく大きなことだと思う。特にスタミュでそれを感じた。

ランズベリーアーサーという、アニメも舞台も関わっている役者、共通でかかわっている振り付け者。

舞台が独自解釈だけで完結せずに、(そのままうけいれるかは別として)原作側の人間に、意見を求めやすい環境というのはそれだけで貴重だし、「…どうしてこうなった」がすごくすくなくなると思う。(なにごとにも例外はあるけれど)

 

ふるまいや声音をトレスするのが2.5だとは私はおもわないのだけれど、でも、やっぱり原作あってこその2.5で、演劇なり、役者が演じるなりの独自性はあっても、そこの根底に原作へのリスペクト、キャラクターへの理解がないと成り立たないとは思っている。

 

disるけど、映画とかドラマはどうしてもそこがおろそかにされがちなのが、原作ファンの怒りをかうのだと思う。キャラクターの位置づけ、性格、容姿をキャスティングした役者にあわせて安易に変更する。ストーリーもそれにあわせて変更する。

その変更の割合が、原作好きには容認しがたいレベルであることに気づかない。

 

個人的に、実写ヤマトはキムタク除いてかなり健闘した方だとおもうのだけれど(ただし、キムタクには原作への敬意はちゃんとあったので、それなりに評価はしている)映画やドラマでは、真田さんのイメージはぎばちゃんのあれが精一杯なのはよくわかる。2.5舞台だとたぶんもうちょっと似せられるような気はするけれど。

 

実写ヤマトは、キメラのような作品で、アニメが好きすぎる出演者は、本当にリスペクトしたキャラクターを演じていたけれど、そうでない人との差がいちじるしかった。でもその差が、ふつうの実写化と、2.5舞台化の違いにちかいように私は思っている。

 

勝吾くんは、「役者めあてできた人が、原作に興味をもてるように。原作ファンが、今後自分たちの舞台に興味をもってもらえるように、その間をつなぐかけはしになりたいと思ってます」といった意味のコメントをしていた。

彼は2.5系の舞台に出るときはいつもそういうコメントをしている。でも理想として、そうなってほしいなと思うし、ある程度、スタミュとジョカゲはそれに成功したんじゃないかなあという気がしている。特にスタミュの双方向交流っぷりがすごいと感じている。

 

スタミュって、ほんとうに光のアニメで、舞台もまた幸せしか生まなかった。

100%満足はしないだろうけど、でも圧倒的に「楽しかった」と楽しい気持ちで帰ることのできた舞台。

本当にすてきだなと思っている。

 

まとまらないけど、この辺で。

個人的には、しょーごくんの役作りについて、ちょっとつっこんでかいてみたいところである。